F1CD-022B
マールボロ・マクラーレン・ホンダMP4/5 (Marlboro Mclaren HONDA MP4/5)
実車について
Malboro Mclaren HONDA MP4/5 1989年
3.5リッター自然給気(NA)エンジン最初の年となった1989年ホンダはV10エンジンを開発しマクラーレンチームに提供しました。
前年までに、ウィリアムズ(1983〜1987年)、ロータス(1987〜1988年)そしてマクラーレン(1988年〜)に搭載され圧倒的な強さを発揮したホンダターボエンジンの勢いそのままに新規定となってもホンダエンジンの強さは健在でした。アラン・プロストと新チャンピオンとなったアイルトン・セナのタッグで16戦中10勝をあげます。(アイルトン・セナ6勝、アラン・プロスト4勝)
その強さは誰にも打ち破れないかに思えました。しかし、サンマリノGPでアラン・プロストがレース中にスピンを喫した事から歯車が狂い始めます。
インタビューに訪れた記者にプロストは、レーススタートの際にセナと交わした約束をセナが破ったのだと告白します。「スタートで前に出た方が第1コーナーの優先権を持つ事にしようと約束した。しかし、セナはその約束を破ったのだ。」と。いわれの無い中傷を受けたと解釈したセナは腹を立てますが、それでもチームの意見を取り入れて一旦は謝罪します。しかしその後もプロストの非難は続き、やがて、チーム内には二つの派閥が出来、チームメイト同士が言葉も交わさない最悪の事態に陥ります。それはまるでウィリアムズチームで起こった強すぎるチームならではの事件の再現でした。
鈴鹿でプロストがセナにマシンをぶつけ、翌1990年にはセナがプロストのマシンにぶつけ返す。トップドライバーによるお互いの意地をかけた真っ向勝負。セナ・プロスト時代の始まりでした。
マクラーレン・ホンダMP4/5そのものは、前年のMP4/4の正常進化型ですが、時代のトレンドからは後れ始めたマシンでした。低く作られたボディでウィングに気流を抵抗なく流すコンセプトを継承していますが、他チームでは既に異なるコンセプトのマシンが開発され始めていました。
カナダGPでプロストのマシンのフロントサスペンション基部のモノコックが剥がれるトラブルが発生し、その後各マシンのこの部分にパッチが当てられています。
(-027にこの部分の拡大写真があります。)
その後製作されたシャーシ5〜8の4台については構造が変更され外観上パッチはありません。
また、シーズン中盤のイギリスGPからはギアボックスがそれまでの縦置きから、横置きギヤボックスに変更され、それに応じてサスペンションに改造が施されています。
デザイナー ニール・オートレイ
ドライバー アラン・プロスト、アイルトン・セナ
戦績 (1989年)
1989年 | 1 アイルトン・セナ | 2 アラン・プロスト | ||
予選 | 決勝 | 予選 | 決勝 | |
ブラジルGP | 1位 | 11位 | 5位 | 2位 |
サンマリノGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 2位 |
モナコGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 2位 |
メキシコGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 5位 |
USAGP | 1位 | リタイア | 2位 | 優勝 |
カナダGP | 2位 | 7位 | 1位 | リタイア |
フランスGP | 1位 | リタイア | 2位 | 2位 |
イギリスGP | 1位 | リタイア | 2位 | 優勝 |
西ドイツGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 2位 |
ハンガリーGP | 2位 | 2位 | 5位 | 4位 |
ベルギーGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 2位 |
イタリアGP | 1位 | リタイア | 4位 | 優勝 |
ポルトガルGP | 1位 | リタイア | 4位 | 2位 |
スペインGP | 1位 | 優勝 | 3位 | 3位 |
日本GP | 1位 | 失格 | 2位 | リタイア |
オーストラリアGP | 1位 | リタイア | 2位 | リタイア |