F1CD-021A
マールボロ・マクラーレン・ホンダMP4/4 (Marlboro Mclaren HONDA MP4/4)
実車について
Malboro Mclaren HONDA MP4/4 1988年
16戦15勝。取りこぼした1敗もその直前まで独走状態だった事を考えれば、史上最強の戦績を残したF1マシン。そう紹介しても間違いはないでしょう。
Malboro Mclaren HONDA MP4/4はまさに最強のF1マシンでした。
1.5リッター・ターボチャージャー・エンジン最後の年となった1988年、強力なホンダ・ターボエンジンを手に入れたマクラーレン・チームは、1985年、1986年チャンピオンのアラン・プロストに、チーム・ロータスから移籍したアイルトン・セナを加え強力なタッグでシーズンに臨みます。
翌年から実施される3.5リッター自然給気(NA)エンジンへの準備を考えると、この年ターボエンジンの開発は鈍化するものと考えられました。
ましてや前年の給気4.0バール、燃料搭載量195リッターから、給気2.5バール、燃料搭載量150リッターへの規制強化(NAエンジンには規制なし)は厳しいもので、燃費への不安からターボマシンのスピードは低下すると予想されていました。
この年、ターボエンジンとして残っていたのは、ホンダ、フェラーリ、メガトロン(BMW)といったところで、事実上ホンダとフェラーリの一騎打ちとなりましたが、燃費に勝るホンダ・ターボ・エンジンの独壇場となったのです。
マシンデザインはスティーブ・ニコルズが担当しましたが、ブラバムから移籍したゴードン・マーレーがブラバムBT55で試みたフラットフィッシュ・デザインコンセプトを継承し、前後のウィングの効率を最大限に生かす様、可能な限り低く作られたマシンでした。
唯一取りこぼしたイタリアGP。独走状態だったアイルトン・セナがシケインで接触事故を起し、リタイアしたのが原因ですが、その相手はウィリアムズFW12に乗るジャン・ルイ・シュレッサー。ホンダ・エンジンのシーズン全勝を阻んだのが、その昔空冷エンジン搭載のホンダのF1マシンRA302で事故死したジョー・シュレッサーの息子であったのはなんとも言えない皮肉な出来事でした。
デザイナー スティーブ・ニコルズ
ドライバー アラン・プロスト、アイルトン・セナ
戦績 (1988年)
1988年 | 11 アラン・プロスト | 12 アイルトン・セナ | ||
予選 | 決勝 | 予選 | 決勝 | |
ブラジルGP | 3位 | 優勝 | 1位 | 失格 |
サンマリノGP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
モナコGP | 2位 | 優勝 | 1位 | リタイア |
メキシコGP | 2位 | 優勝 | 1位 | 2位 |
カナダGP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
USAGP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
フランスGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 2位 |
イギリスGP | 4位 | リタイア | 3位 | 優勝 |
西ドイツGP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
ハンガリーGP | 7位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
ベルギーGP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
イタリアGP | 2位 | リタイア | 1位 | 10位 |
ポルトガルGP | 1位 | 優勝 | 2位 | 6位 |
スペインGP | 2位 | 優勝 | 1位 | 4位 |
日本GP | 2位 | 2位 | 1位 | 優勝 |
オーストラリアGP | 2位 | 優勝 | 1位 | 2位 |